今回紹介するのは瑞泉寺(ずいせんじ)

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見たことも聞いたこともない!という方々も沢山おられるだろうし、しかも小さなお寺だし、観光で訪れるような感じのお寺ではない・・・。

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しかし、見ての通り…関白豊臣秀次公の墓所があるお寺だ。

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秀次公は、豊臣秀吉の正室である北政所の兄の息子にあたるので、秀吉にとっては甥にあたる。

愛児・鶴松(つるまつ)が、早世してしまったので世継ぎとして、秀吉の養子となり秀吉から関白職をゆずられ、家督も相続したほどの人物であった。

ところがすぐ後に、秀吉と淀殿とのあいだに嫡子・秀頼(ひでより)が誕生したことで、秀次の人生は大きく歪められていくこととなった。

貴族の最高位であった関白という地位にありながら、秀吉から難癖をつけられて官位をはく奪されたうえ、強制的に出家させられてしまう…。

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その後、高野山に蟄居となった末に、謀反の罪で切腹となってしまう(ノД`)・゜・

賜死を命じられ切腹した豊臣秀次の首は三条河原で晒され、なんとその時に秀次の幼い子供5名と
妻妾合34名・・・合わせて39名がこの場で処刑されたという歴史がある場所…。

遺体は河原に掘られた穴に放り込んで埋められた上に塚を作り、秀次の首を納めた石びつが置かれたという…それが現在の瑞泉寺にある墓石であるというお話。

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実はこの場所は三条河原の中洲であり、たびたび鴨川が氾濫して洪水を引き起こしていた場所で、いつのまにか、その塚自体も流されてしまっていた。

それから16年ほど経った1611年に、豪商角倉了以(すみのくらりょうい)によって高瀬川を作る工事中に、秀次悪逆塚と刻まれていた石びつが偶然発見された。


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実弟が秀次に仕えていたという縁もあり、了以は立空桂叔(けいしゅく)を開山として、秀次の菩提を弔うため、秀次の戒名瑞泉寺殿高巌一峰道意から寺号を取って、瑞泉寺を建立したと伝わる。

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当時の石びつが現在も使われているが、秀次悪逆の四文字は削られている。

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現在ではデートスポットのメッカでもある三条河原…デート中にそんな話をしたら(;´・ω・)だめよーだめだめ