平城宮址の北東にある法華寺(ほっけじ)

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奈良観光でも、よほど歴史に精通されている方でないと、最寄りの駅からは結構離れた場所なので・・・一般観光ではあまり馴染みがないかもしれないが・・・かなり重要なお寺であるので、しっかりと解説(*´ω`)

法華寺の創建は天平時代

聖武(しょうむ)天皇の勅願で全国に建てられた国分寺(こくぶんじ)の総本山である東大寺に対して、こちらは国分尼寺(こくぶんにじ)・・・つまり女性が住職の寺の総本山

かつて天皇の住まいであった内裏(だいり)に隣接するこの地は、聖武天皇の祖父であり、皇后・光明子(こうみょうし)の父でもある(ややこしい!(;´・ω・))藤原不比等(ふひと)公の邸宅跡であった。

今の寺領は、さほど大きくはないが・・・

その当時、不比等は絶大なる権力をもっていたこともあり、東西に塔を持ち、金堂、講堂などを回廊が取り囲むような東大寺式の伽藍配置だったことがわかっている。

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このゆったりとした寄棟造り(よせむねづくり)の屋根を持つ金堂は、1601年に豊臣秀頼公と淀君の寄進により再建。

この日は夏越の祓(なごしのはらえ)のための茅の輪(ちのわ)が置かれていた♪

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(ネット画像)

御本尊の十一面観音菩薩像は全国に7体しかない国宝の十一面観音像の1体であり・・・

光明皇后の顔をモデルにされていると伝わる。

言われてみると確かに、仏さまというよりは人間っぽい顔立ちの観音さまだ(*´ω`)

奈良をこよなく愛していた歌人で、文学者の會津八一(あいづ やいち)大先生がこちらの観音さまを
詠んだ歌がある。

ふぢわらの おほききさきを うつしみに
   
    あひみるごとく あかきくちびる


これは

藤原家出身の大后(光明皇后)を、まるでこの世に生きる身として見ているような、赤く美しいくちびるだ

という意味・・・。

このお像はカヤの木の一木造りで、当初から金箔や漆などによる彩色が施されておらず唇の紅がじつに艶っぽい(//▽//)♪

ただし御本尊は季節限定での御開帳のため、それ以外の時期は、等身大の御分身像を拝観。

光明皇后といえば、その美貌もさることながら夫の聖武天皇と同様に深く仏教に帰依(きえ)され、貧しい人たちを救済するための悲田院(ひでんいん)と高価な薬を分け与える医療施設の施薬院(せやくいん)を設置するなど、慈善事業にかなり注力しておられたことも有名


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この「からふろ」とよばれる浴室は床にわらを敷いて下から蒸気を出す方式・・・いわゆる蒸し風呂だ(*´ω`)

この風呂にはちょっとしたエピソードが残されている・・・。

光明皇后はあらゆる衆生を救うため千人の人たちの体の垢を落とし洗い清めるという願を立てられた。

その千人目に現れたのが、全身に膿ができた重症の「らい病」患者の老人であり、垢すりをすれば膿が潰れてたちまち激痛が起こるので・・・

その老人の願いを受け入れた皇后は膿を一つずつ口で吸って取り除かれた( ;∀;)ぐへ~

しかしその瞬間!

あたり一面に光が満ち溢れて、膿だらけの老人は如来のお姿に

そして

「光明子(こうみょうし)」よ。みあげた心がけである。

そなたこそまこと仏の弟子にふさわしい。うれしく思うぞ・・・」


といわれたという伝説が残る。


これは余談だが・・・

「らい病」は現在でいう「ハンセン病」のことをいい、岡山県にある国立ハンセン病療養所である邑久光明園 (おくこうみょうえん )という名前は光明皇后のこの伝説からきている。

このように日本の歴史というものは、何かと横にもつながっているので面白い。






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