世界文化遺産に登録されている醍醐寺(だいごじ)。真言宗醍醐寺派の大本山だ。

境内が非常に大きく、醍醐山全体が醍醐寺であると言っても過言ではない。

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創建は平安前期の874年、理源大師・聖宝(しょうほう)上醍醐(かみだいご)山上で地主横尾明神の示現により醍醐水の霊泉を感得したことで小さなお堂を建立。(漢字多い)

そこに御本尊として准胝(じゅんてい)如意輪(にょいりん)の両観音像を安置したことに始まる。

その後、下醍醐(しもだいご)の地に伽藍を建立。951年には五重塔が落成したことで下伽藍も完成。

隆盛を極めた醍醐寺も、長い年月の間に幾度かの火災・・・とくに応仁の乱の余波によって下伽藍堂宇はことごとく灰燼に帰してしまった。

幸いにも五重塔だけが難を逃れ、建立当時の姿を今に留め、京都に建つ五重塔の中ではもちろんのこと、現存する建造物としても最古とされている。

というような解説も大事なのだが・・・

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三宝院庭園の中に、ひときわ目を引く石がある(◎_◎;)アベノハルカス?

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これこそが天下の名石と伝わる藤戸石(ふじといしだ(≧▽≦)

源平の合戦のさなか。備前国(現在の岡山県)藤戸に陣を張る平氏の軍勢を、源範頼(みなもとののりより)勢が追い詰めたが、波が高くて渡れず困惑していたところ・・・

海を渡れそうな浅瀬の場所を、地元の漁師から聞き出した御家人の一人、佐々木盛綱(ささきもりつな)が手勢を率い、馬に乗ったまま浅瀬を渡り、源氏勢は一気に平氏を追い落とし、壇ノ浦で平氏一門が壊滅するきっかけとなった。

そこで、源氏を勝利に導いた象徴とされ、いつしか藤戸石は武将達にとって、天下の名石として語り継がれることとなった。

しかし一方では、情報が漏れるのを恐れた盛綱が、口を封じるため漁師を殺害・・・(ノД`)その殺害現場にあったとされる悲劇の石であったという伝説もある(;´・ω・)むむむ・・・ひどくない?

その後、どういういきさつかは不明だが、室町後期に実権を握っていた細川管領邸に置かれ、それを織田信長が奪い(笑)、室町幕府15代将軍・足利義昭(よしあき)の二条邸まで運んだという文献が残されている。

その信長が本能寺で討たれた後、天下人となった豊臣秀吉は、その石を京都の聚楽第(じゅらくてい)の庭に移し、晩年に醍醐で花見を催した際に三宝院庭園の主役として置いたのである。