東大寺・南大門といえば、知らない人はいないくらい有名な門である。

DSC06077

現在我々が目にするこの門は二代目で、初代は大仏焼き討ちのときに火災で焼失したのかと思いきや、なんと台風によってすでに倒壊していたとか(;´・ω・)マジですか?

その後1180年に平重衡(たいらのしげひら)によって大仏殿をはじめとする堂塔伽藍は焼失するわけだが…いかに平家が隆盛を誇っていたとしても、大仏さまを燃やしてしまうようなことをすれば当然仏罰がある!

おごる平家は久しからずというやつで壇ノ浦の合戦で滅んでしまうこととなった。

そして、源頼朝の強力なバックアップと大勧進(復興対策委員長)の重源(ちょうげん)による必死の募金活動により、1185年に大仏殿は復活。

その14年後の1199年になってようやく現在の南大門が再建された・・・つまり最初に倒壊してから実に237年もの間この正門は無かったということになる(◎_◎;)歴史長~い

DSC07825

ド迫力の門だが、良く見てみるとけっこう造りは簡素で、京都の知恩院や南禅寺といったような豪華なイメージではない。

これは重源が中国・宋から伝えた建築様式・天竺様(てんじくよう)というものを採用したからだ。

748

その特色は

●貫(ぬき)と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること。

●天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていること。

●工期も費用も抑えられる…などが挙げられる。

とはいえ、これだけのものを建てるとなると、お金はもちろんだが大きな木材の調達も、かなり厳しかったのではないかとも思うが…そこはやっぱり東大寺の力だ!( `ー´)ノ

そして、この両脇に立つ金剛力士像が圧巻!
高さ8.4メートルの巨大な像は、運慶が率いる慶派の仏師達が、わずか69日で造られたと伝わっている。

DSC03513
門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)

DSC03514
左に阿形(あぎょう、口を開いた像)が立っている。

これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆にになっており、しかも向かい合って立つ姿もかなり稀なこと…その理由は諸説あるがイマイチ不明(´・ω・`)

1988年から5年の歳月をかけて、初めての解体修理が実施され、体内から多数の納入品や墨書が発見された。

かつて社会の教科書で、バカの一つ覚えみたいに運慶(うんけい)と快慶(かいけい)が造ったと覚えさせられていたが、墨書によると阿形像は大仏師運慶と快慶が小仏師13人を率いて造り吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人と共に造ったものであることが書かれていた。このときから向かい合わせに配置されていたことも判明♪

この時の運慶は、主に棟梁として製作現場全体の監督・総指揮者として造像に当たっていたことも分かっている(≧▽≦)カッコイイね

しかし残念ながら、なぜ向かい合わせなのかについては…(/ω\)









チャンネル登録おねがいします<(_ _)>




最後まで読んで下さって有難うございます<(_ _)>


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 奈良県情報へ
にほんブログ村


京都府 ブログランキングへ
(≧▽≦)ポチポチッとお願いしまーす♪






雅流塾の公式ホームページ

お問い合わせは

070-5044-7830(ナヤミゼロ)

もしくは

garyujuku@outlook.comまで!!


歴史に興味が湧いてきたなら、すぐご連絡ください

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット