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東大寺は、何といっても大仏殿と大仏さまが世界最大級として知られている。

天平時代の752年に創建されて1265年、何度も戦火や災害に見舞われてきたが、まさに不死鳥のように甦り・・・現代にまでその姿を残して、守ってきてくださった先人たちには感謝してもしきれない。

大仏殿の前に立つととても大きい

しかしその大きさは単純に高さが何m、幅が何mというような寸法上のことではなく、風格と威厳が放つオーラであり、その圧倒的な存在感にある。

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中に入って大仏さまにお会いすると、あまりの大きさに逃げ出したい気持ちになりそうだが、よくお顔を眺めると目がとても優しく涼やかなので、思わずこちらもニッコリ。

何かとてつもなく大きな慈悲の力で包み込まれ、一瞬のうちに心の悩みや苦しみから解き放たれるような気持ちなってくる(*´ω`)

しかしなぜ、これほどまでに大きなお寺が必要だったのだろうか。

ここでは東大寺創建にまつわるエピソードを、わかりやすく簡単に解説しておく

伯母にあたる元正(げんしょう)天皇(女帝なので赤い文字で表記)の退位にともない、聖武天皇は国際色豊かで華やかな天平文化の象徴のように即位された。

ところが華やかどころか、干ばつや台風、地震などの天災が相次ぎ・・・大飢饉で民衆は飢えに苦しみ、疲れきってしまっていた。あげくに、なんとか重税から逃れようと、平城京を離れる者たちが続出した。

さらに、さまざまな政治的な反乱も相次ぎ、平城京全体に大きなダメージを受けてしまっていた。

そのような国難を救う手段として、741年には日本中に国分寺(こくぶんじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)を造らせ仏教による国家統治を進めようとした。そして最後にその総本山として大仏が建立された。

聖武天皇は大方の反対を押し切り・・・宮を転々と移し、当初の大仏の造立は紫香楽宮(しがらきのみや<現在の滋賀県・信楽>)にて着工されたが、ここでも地震や溶鉱炉の爆発事故などにより、甚大な被害が出てしまったので、あらためて平城京に戻り、現在の場所にて完成されたのである。

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聖武天皇のお言葉が、続日本紀(しょくにほんぎ)の天平13年(741年)3月24日に書かれている

このごろ、田畑の稔りが豊かでなく、疾病がしきりに起こる。それをみると身の不徳を懴じる気持ちと恐れとが代わるがわる起こって、独り心をいため自分を責めている。そこで広く人民のためにあまねく大きな福があるようにしたいと思う。

文字にしてしまうといささか軽くなってしまうが、現代の日本では想像もつかないような国難の中、何とか人民の平安を願い生み出された大仏さまだということであり・・・けっして権力の象徴などではない。


最後まで読んで下さって有難うございます<(_ _)>


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